2018年4月11日にアイドルグループ「仮面女子」のメンバー猪狩ともか(26)さんが、倒れてきた看板の下敷きとなり、大怪我を負いました。
猪狩ともかさん本人が事故後はじめて公式ブログを更新し、その後の報告をしています。
目次
猪狩ともかはなぜ事故にあったの?
猪狩ともかさんが事故にあったのは、東京都内の歩道を歩いていた時。
いつもと変わらず、いつものように歩いていたのだそうです。
歩道の幅は3mほどあり、歩道としてはかなり広いと言えます。
AKBグループで時々起こるステージからの転落事故などのように、アイドルグループとしての活動中の事故ではありませんでした。
その日は風が強かったそうですが、突風が吹いた時に建物の看板が倒れてくるのには気付いていたようです。
猪狩ともかはどこを怪我したの?怪我の程度は?
猪狩ともかさんの怪我の箇所はどこかというと、
・瞼裂傷
・頭部挫創
・骨折(脚、肋骨、胸椎、腰椎)
です。
中でも、胸椎と腰椎の骨折による、脊椎損傷が深刻な状況です。
このため、両下肢麻痺となってしまいました。
両足が全く動かせません。
今後のリハビリによって回復する見込みがないわけではありませんが、難しいと言わざるを得ない状況のようです。
猪狩ともかを直撃した看板の大きさや重さは?
看板は建物の敷地を飛び越えて、歩道全体に覆うほどの大きさだといいますから、相当の重量なはずです。
2本の足で立っているタイプの木製の案内看板なのですが、足は2本とも折れてしまっていますが、高さは約2.8m、幅に至っては3.5mもある巨大なものです。
おまけに上部には、横幅全体にわたる三角屋根が設けられているものなので、バランス的にも頭でっかちな不安定なものだったはずです。
この倒壊した案内看板は、1mほどの高さの石材製の垣根の敷地内にある看板です。
垣根から30cmほど離れた土の地面に建てられていて、根本から15cm程度のところが腐食して折れてしまったようです。
猪狩ともかを負傷させたのはどこのどんな看板?
猪狩ともかさんに倒れてきた看板は、東京都文京区にある「湯島聖堂」という史跡内のものです。
「湯島聖堂」は元禄3年(1690年)に五代将軍徳川綱吉によって湯島の地に創建された聖堂。
関東大震災で起きた火災によって、そのほとんどが消失しましたが、昭和10年に鉄筋コンクリート製で再建されています。
猪狩ともかの事故の責任は?
公益財団法人「斯人会」というところが管理しているので、今後はここと補償について話し合うことになるでしょう。
猪狩ともかの今後は?
猪狩ともかさんは自身のブログの中で、
私は歩くことはもちろん、自分の力で脚を動かすことすらできなくなってしまいました。
治る可能性は極めて低く、
今後、車椅子での生活を余儀なくされました。体調・怪我は徐々に良くなり、今は自立した車椅子生活を送れるよう毎日リハビリに励んでいます。
退院は今から約3ヶ月後の予定です。
と書いています。
でも、今後も「仮面女子」をやめるつもりはないと言い切っています。
そして、【希望の光になりたい。】とも。
ブログの最後にはファンに向けて、
「私は前を向いています。もう心配しないでね。これからも猪狩ともかを見守ってください。そして一緒に歩んでいければ嬉しいです」
という言葉で締めくくられています。
事務所も万全のサポート体制で活動を支えていく方針のようで、車いすが搭載できる専用車を購入したり、スタッフ全員が身体障がい者のケアを学んだりすることが計画されているのだそうです。
コメント