ちまきとは?地域で形や笹葉が違う、端午の節句に食べる由来や理由?

ちまき
こどもの日の5月5日の端午の節句につきものなのが、「ちまき」。

「ちまき」っていう言葉って、よくよく考えると意味が想像できないですよね。
とても美味しい食べ物ですが、独特な形をしています。
笹の葉でくるまれているものが一般的ですが、なぜ笹の葉にくるんでいるんでしょう?
端午の節句に食べる習慣はどうして生まれたんでしょう?

今回は、ちまきについて紹介していきます。


目次

「ちまき」とは?名前の由来は?

ちまきとは、お餅を笹の葉で三角形や円すい形に包んだあと、い草などの紐状のもので縛ったものを指すのが一般的です。

なかには筍(タケノコ)の皮などで、もち米やうるち米、米粉などを包んで蒸し上げたものもあります。

地域によって作り方が違うのですが、もち米など葉で包んでから作るものと、もちをついてから葉で包んだものと両方の作り方があるようです。

これに砂糖を混ぜたきな粉などをつけて食べたりします。
最近はおもち自体に最初から甘く味付けをしてあるものが多いですね。

ちまきは中国から伝わったもので、昔は「茅(ちがや)」の葉で包んでいたことから「茅巻き(ちがやまき)」と呼ばれていました。
「茅(ちがや)」は「ち」とも読むため、短くて呼びやすい「ちまき」と呼ばれるようになりました。

古い文献には「知萬木」と書かれていたそうで、もち米を植物の葉で包んで、灰汁(アク)で煮込んで作った、という製法の記載もあります。
現在ではちまきは漢字で「粽」と表記します。

「ちまき」の形の由来と笹の葉で包む意味、理由は?

ちまきが笹の葉で包まれるようになったのは、中国の故事から来ています。

屈原(くつげん)という名の国王の側近の霊を弔う際に、笹の葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのですが、その投げ入れた米の飯を魚に食べられないように植物の葉を巻いたと言われています。

他にも、笹の葉で巻いて投げたのではなく、竹筒にもち米を詰めて川に流したとされる言い伝えもあり、この竹筒が変化して竹と同種の植物の笹の葉になったとも言われています。

投げやすいように笹の葉を円すい形にして投げたのか、食べやすいように竹筒から笹の葉に変わっていったかのどちらかであることは間違いないようです。


「ちまき」はなぜ端午の節句で食べる?この習慣の理由は?

屈原の霊を最初に弔ったのが、紀元前288年の楚の国の時代の、陰暦の5月5日の端午の節句だったので、「ちまき」を端午の節句に食べるようになりました。

これは中国や台湾などでも同様で、5月5日の端午の節句に食べる習慣があります。

地域によっての「ちまき」の違いは?台湾ちまきは別物?

ちまきは地域によって形や製法が様々です。

ちまきは日本だけでなく、伝来元である中国はもちろん、台湾やシンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、カンボジア、ベトナム、フィリピンなどの東南アジア諸国などにもあります。

国によっては、もち米などと一緒に豚肉、シイタケ、小豆、栗など様々なものを入れて作られているようです。

台湾ちまきなどが特に有名だと思いますが、「中華ちまき」とも呼ばれていますね。
もち米を竹の葉で包んで蒸したもので、出来上がったもちは茶色っぽくなっています。

実はわたしの母の田舎である宮崎県では、この台湾ちまきに似たものが食べられています。
私がまだ小さい頃、よく田舎から祖父母が作った竹(というよりタケノコ)の皮に包まれた「ちまき」が送られてきていました。

比較的大きなもので、20センチくらいの長さで直径が7、8センチ近くある楕円の筒のような形でした。
私は大きくなるまでそれが一般的な「ちまき」だと思いこんでいたものです。

田舎のちまきは、私にとっては大好きなものでしたが、初めて食べる人にとっては癖のある風味と味のようで、苦手な人もいたようです。

祖父母もとうの昔に他界してしまっていて、その後は見ることもままなりませんでしたが、宮崎の物産展で見かけたときは懐かしさのあまり涙が出そうになったのを覚えています。

 
最後まで読んでいただきありがとうございます。


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